小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

「教育とは憧れである」

「憧れこそ教育である」

 

私が大学卒業の時に、当時の学長が贈ってくれた言葉である

 

当時、きちんと大学の授業を受けた覚えもなかったのに、この話だけは卒業して10年近く経った今も覚えている

 

 

 

この言葉が今でも自分の中に残っている理由

 

 

 

 

それは自分がそれを体感してきたからだ

 

 

 

 

 

自分の中の憧れ

「あの先生みたいになりたい」

「あの先生のようにクラスを運営したい」

「あの先生のような授業がしたい」

「あの先生のように子供と関わりたい」

 

毎日がそんな連続である。常に自分と比べて他の先生を見ている。

いつも自分の教育に、足りない感・劣等感を抱いている。

「もっとこうできたら」という思いが持てるのは、「あの先生のように」「あの先生に比べたら」そう思えるからだろう。

 

だからこそ、自分の教室の外を見て

学校の外を見て

教育現場の外を見て

いろいろな人に会うことが大切なんだ

 

憧れを持ち続けるには、会いに行くしかない

それが直接的な方法でも、間接的な方法(本や動画など)でも。

憧れが一番自分を成長させてくれる

憧れは最高の「ガソリン」だ

 

自分への憧れ

教壇に立つ者として、「憧れられる存在」である必要があると思っている

 

単純な話で

見た目がかっこいい男性上司と、見た目がダサい男性上司、どちらについていきたいと思いますか?

私は間違いなく前者。

 

ただついて行きたいと思うファクターは、もちろん見た目だけじゃないわけで。

それ以外にもたくさんの要素が絡んでいる。

 

子供達に教育を施す人間である以上、子供達から憧れる存在であったほうが良いのは言うまでもないが

そのためにも自分が成長し続けなくてはならないと考えている

 

 

辛い経験がある

 

 

子供との信頼関係を築くことができず、私への憧れなど全くなくなってしまった学級があった

私に原因がある

それはもう何も成り立たなかった。授業、規律、特別活動、当番活動、係活動、行事すべてに影響が出て、負の連鎖へとなった。

 

自分の在り方を見直すきっかけとなった。

その時から、「教育とは憧れである」が頭からこびりついて離れない。

憧れられる教員でいなくてはならないと考えた。

 

 

憧れ続け、憧れられ続ける存在でいたい

そんな先生でいたい

 

 

 

私の友人が、「夢」について考えていた。

私の「夢」も考えてみた。

わからない。

きっと「憧れ」の中にそれは眠っているんだろうと考えている。

私も中学校の先生に憧れて教員を志したように。 

 

 

自分はどこに進んでいくんだろう。