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小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

昨日の交流で思ったことを徒然と。

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昨日クラスでは、交流があった

 

誰との交流かというと、肢体不自由な同じ年齢の男の子だ

年齢よりもずっと幼さが見られる

約、月に1回、その子は教室に来てクラスのみんなと交流をする

 

普段は車椅子で移動することも多く (写真左のような大きなもの)

歩行は出来るが、走ったりはできない

言葉での表現もできない

触ったり叩いたりが主なコミュニケーションだ

 

だから、学年の初めに交流を始めた時には強く叩いてしまって「痛い〜」なんてことも多かった。

私もその子を抱っこしたりして遊ぶんだが、引っ張る力がすごくて洋服の首元が伸びそうになったり、こちらが痛くてもお構いなし。別にそういうものだと思っていた

 

だけど、毎回会うたびに成長を感じる。

できないことが多い中でも、できることも増え大きく成長しているのがわかった。

・こちらの声に反応することができるようになった。

・思いっきり叩かなくなった。

・歩ける距離が増えた。

・表情が以前よりも明るくなった

・ボールを回す、椅子を倒すなど道具の操作が上手になった

 

子供達との直接的な交流も増えてきた。

僕はそれを見ていて、嬉しくて嬉しくて。ずっと見ていたいような光景だなと感じている。

 

 

 

 

最後にいつもお母さんからお話をしていただく。

その子の今やっていることや、お考えを少しでも聞けるといいなと思ってるからやっている。

 

昨日の最後の話が印象的だった。

 

「この子は社会に出るといつも「じゃまもの」として扱われる。駅やエレベーターなどで、大きい車椅子でいると「じゃまもの」というような表情や態度をされる。中には「じゃまだ」と言ってくる人までいる。そういうこの子を、このクラスは暖かく迎え入れてくれる。本当に感謝している。どうかこのクラスの皆さんは、社会でもこういう不自由さを持つ人にあたたかく接することができるような人になって欲しい」

 

というメッセージだった。目に涙を浮かべながらのお話だった。私も心にくるものがあったし、子供達にもそれは同じだったようだ。どんな思いでお母さんが社会の中で生きていかれているのか思いを馳せた。

 

 

 

「私たちにできることは何だろうか。」

「自分にできることは何だろうか。」

「社会の中でできることはないか。」

そんな問いを子供達に投げかけてくれた、ものすごい貴重な機会となった。

 

この交流をしていたから考えられたこと

身の回りにこういう方がいたから見つけられた視点

この機会に感謝。

 

 

教育って意義が大きい。

教師の役割、学校の役割って子供の未来を創ることだ。

そういうことを感じた1日だった。