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小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

「研究授業だから頑張る」は正しいのか?

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来週に研究授業が迫っている

 

行うのは体育の「タグラグビー」

昨日、紹介をさせていただいた

www.kesuke03.xyz

 

研究授業とは・・・

・他のクラスの児童達は下校して、自分のクラスだけ授業をする

・他のクラスの先生もみんな見に来る

・授業を参観後は、見に来た先生方で授業について協議する

・講師の先生も来て指導講評をもらう

 

そんなものだ。いわば先生の「授業の発表会」だ。

先生になると、よく参加することになる会だ。

自分が授業する側の時もあれば(たまに)、授業の参観側になることもある。

 

今回は自分が授業を発表する側だ。校内の人だけでなく、いろいろなところからたくさんの人が見に来てくださる話を聞く。本当にありがたいし、皆さんに何かを「プレゼント」して帰ってもらいたい。

 

 

研究授業とはなんかを簡単に述べた上で・・・

 

先生がはりきる時

学校の先生って張り切る時が3つあると思っている。

①学期初め

②授業参観時

③研究授業時

 

ありませんでしたか?自分が子供の時に、授業参観の先生はいつもと違ってスーツを着用して、授業の準備もバッチリで。短冊形の紙を用意したりして準備万端!みたいな時を。

「先生、なんかいつもと違うね」

「何言っているんだ、いつも通りだよ」

という会話。

 

先生ってこの3つの時は、すごい授業準備もする。

普段全くしないことはないんですが、その時よりも格段に準備をする。

 

特に③の研究授業の時はものすごい。

例えば、黒板の用意。こんな紙が張り出される。

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掲示物

授業のそれまでの足跡を書いたもの。

いつもはないのに、研究授業の時だけ丁寧にこんなものが作られる。

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学習カード いつも書かないのに。。。なんてこともしばしば。

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などなどいろいろな形で、「いつもやらないこと」が研究授業だとやられるようになる。

 

私も今まさにその状態。先生たちの中には「研究授業だから頑張ろう」という気持ちってある。

 

それは正しいのか?

 

「研究授業だから頑張る」は正しいのか?

 

よく言われる立場が2つある。(私がそう感じているのかも)

 

①研究授業は特別な場で先生の力量を上げる時だから、いつもと違う授業で当たり前。

②いつも通りでいいんだ。いつもの姿を見てもらうことが大切なんだ。

 

もし先生でいらっしゃったら、あなたはどちらですか?

 

私はつい最近まで②を推奨していた。

なんだか研究授業の時だけ張り切る自分が嫌で、気持ちが悪い感じがした。

だから「いつもどおり」を心がけ、特別なことをしないような授業構成を意識していた。

 

ですが、この1年で考え方が変わった。

 

①の方になった。

きっかけは、とある同志の方の研究授業を参観しに行った時の資料。

個別のめあてや振り返りが、一人一人まとめられていた圧倒的な資料。

そこには明らかに、絶対的な努力量が見えた。

それを見て、「そこまでやるか」と正直思った。

それくらい徹底的にやっていた。

 

②の考え方をしていた自分はどこかで、それだけやることに逃げてい。徹底的にやることは労力も我慢もいること。手間もかかる、そこから逃げる言い訳を「いつも通り」に置き換えていたんだ。

 

私は「そこまでやるのなら意味がある」そう思わされた。

それらは何も、課されたものではない。やらなくてもいいというもの。

それなのにそこまで徹底的にできる。それがすごい。

そこに自己探求の姿があり、それに心が動かされた。

その姿に憧れた。

 

研究授業時にできないことは、普段絶対にできない。

研究授業時に見ようとしないものは、普段絶対に見えない。

 

だから私はそれから研究授業時には、とことんやることを決めた。

だから今、私は普段かけない熱量をタグラグビーの授業にかけている。

 

「研究授業だから頑張」った力は自分のものに

この頑張りも今年3回目。

研究授業をさせていただく機会を今年は多くいただいた。

そうすると、どうなるか。

 

日常の授業にも、求めるものが高くなる。

それはハードルが上がったとか一時的なものではなくて。

自分の中での満足が足りなくなる。

そうすると普段の授業もよくしたくなる。

だから学ぶ。工夫する。手立ても講じる。

 

研究授業で頑張った力は間違いなく、自分の力になっている。

そして子供に還元できている。

 

今年の1年間の自分の足跡を振り返ってそう思う。

だから後1週間、頑張り続ける。

張り切り続ける。

 

それが間違いなく自分の力になるから。

 

なんでもそう。

自分が「徹底的にやったな」と思えるものは、自分の力になる。

 

今日も頑張ろう。