読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

体育のゲームで、子供審判制にするか相互審判制にするか。

昨日は公開授業

 

タグラグビーの授業。

たくさんの方にお集まりいただき、授業を見てもらった。

子供達はいつも以上にやる気に満ちていて

(とても張り切って異様なテンションだったが)

子供達のおかげでとてもいい授業にすることができた

 

たくさんのご指導をいただいたが、たくさん認めてもらえるところもあって。

それは嬉しかった。

 

昨日の講師は、自分の大学時代からの恩師の先生

大学時代から、その方は授業が面白くかつ分かりやすい先生

(ただ成績などに厳しいので恐れられていたけれど)

昨日も非常に明晰なご指導をいただいた、

その中でも多くの先生方の心に残った話がある。

 

f:id:kesuke03:20170225073451p:plain

 

それが

子供審判制にするか相互審判制にするか。

体育の授業では、同時に2コート〜4コートゲームが行われることがある。

先生は一人なのでで4コートで授業を行ったら、審判としてつくことはできない。

その時、試合をしていない子供に審判をさせるのがいいのか。

それとも、審判を置かずにそれぞれの判断のもと行わせるのがいいのか。

 

その議論をしていく時に

「審判の言うことは絶対だ。だからそれは守らなくてはらない」という指導をされる先生が多い。(私もある)

そういう意味でも、審判をつけた方がいい!という主張がある。

 

だけど、体育は生涯学習的な視点で考えれば、プロフェッショナルを育てる体育学習ではなく、将来にも運動に親しんでいたり、誰かと一緒に気持ちよくゲームができたりするようにしたい。

 

そう考えた時に、「審判に従う」ことを教えるのではなく、「ルールに従う」ことを教えなくてはならない。

 

自分がルールで反則を犯してしまったら、自ら申し出る。

自分たちで判断し、譲り合って決める。

そういう態度こそ子供達に身につけさせたい力だ。

ここの前提の捉えが抜け落ちていることが多いということであった。

 

そもそもイギリスでフットボールが始まった時には審判はいなかったそうだ

お互いがルールに基づき、試合を自主的な判断で行う。

何か不一致があったら、キャプテンが出てきて話し合いで決める。

そういう文化がずっと残っていたが、ある大会を機にそれが不可能だと判断し、審判を置くようになったという。

講師の先生は、これを「人間の怠惰」と言われていた。

 

 

この話は目から鱗だった。

表面的な議論や葛藤は自分の中にあった。

が、このように「子供に身に付けたい力」を考えていくと、やはり相互審判を促す教員でありたいなと思う。(運動量の確保という意味でも)

 

 

この一つだけではなく、多くの学びがあった。

この授業をさせていただき本当に良かった

講師の先生には、ご指導いただき感謝。

校内の先生たちにも、これまで支えてくださったことにただただ感謝。

見に来てくださった方々にも感謝。

見に来てくださった保護者の方々にも感謝。

 

感謝の気持ちで今朝はいっぱいだ。

 

自分へのご褒美で、今日は朝寝坊を自分に許した。

7時起き。よく寝た。

 

 

www.kesuke03.xyz

www.kesuke03.xyz

www.kesuke03.xyz