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小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

モヤモヤしていること 小学校先生あるある?

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小学校って基本的に全科目担当する

 

中学校や高校と違い、担任と接している時間が圧倒的。

下手したら1週間で見て家族より長い

 

音楽・理科・図工・家庭科など学校などによって専科の先生が担当してくれることもあるが、ほとんどが担任が一緒の時間

 

だからこそ、小学校の学級における担任の力量はものすごく大きな意味を持つし、そのクラスの子供達の姿で担任の力量が判断されることがしばしばである

 

例えば

学習への取り組み方がすごくよい姿があれば、「あの先生の指導はすごい」と言われるし、規律が乱れている姿があれば「あの先生はゆるい」と言われる

 

例えば

整列がしっかりしているクラスにはしっかりと指導している担任の先生の顔が思い出され、おしゃべりなどが多いと担任の先生の力不足が嘆かれる

 

これは、現在持っているクラスに限らない。

前年度や今までにさかのぼる

 

例えば

年度が変わって、クラスは変わらず担任だけ変わった時に崩れるか崩れないか。

崩れないクラスを作った前担任は賞賛され、崩れたクラスを作った前担任は非難される。

 

例えば

年度が変わって、担任した学級がよい姿であっても、「前担任の指導の功績だ」と言われ、あなたは今年ラッキーだということを言われる。

 

昨年持ったクラスが誰の担任だったのかということも言われる。

一度、崩したことのある担任は「もうダメだ」というレッテルを貼られ、陰口の対象となる。

よい学級を作る担任は「力がある」と判断され、もてはやされるようになる。

 

 

これらの判断をするのは大体が専科の教員の役目で。

客観的に見れているからという理由で、教育評論家になる

 

保護者や子どもと違って、6学年の「縦で見る」という視点はものすごい大事だと思う。(その学年の時だけよければいい、じゃない。先も見据えている)

だけれど、あまりいい気持ちはしない。

 

なんかその人にどう判断されているかが、やたらと気になってしまう自分がいて。

そういう自分も嫌でモヤモヤしています。

 

そんなモヤモヤを抱えて仕事をしている日々です。

なんでだろう。支持されたいのかな自分も。

批判されていい気分をする人はいないよな。ちょっとこのモヤモヤを考えてみたい。

そして、また来年度、このモヤモヤを味わうんだろうな自分は。

 

何か特別なことをすると「あの先生の時は」と言われ

そういう特別なことしないで感が出る。

なぜ?

自分が担当した時にしか見せられない、味わわせられないものを提供するのが教師の仕事でしょう。

出る杭は打たれる。なぜか。次の先生が苦労するから。

次の先生が苦労しない先生が「良い先生」

そうなのか??

 

今はそう思えない。