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小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

3.11の話 あの日小学校教師が見た教室

今日で6年

 

東日本大震災から6年を迎えました。

 

今担任している子たちに話を聞いても、小さくて覚えていない子が半分ほどいる。

こうやってあの3.11を知らない世代がどんどん大きくなってきています。

 

毎年あの日のことを思い出さずには入られません。

 

 

 

 

 

2011年 3月11日 14:46

 

私は高学年のクラブ活動の指導に向かっていた。

その日は学年末ということもあり、教室での振り返りだった。

14:45から振り返りを6年生を中心に始めていた。

 

そのクラブは運動系のクラブで、とても人数が多かった。

だから教室には座りきれなく、10名ほどの児童と教室の後ろで立ちながら振り返りの話を聞いていた、

 

その時、ある子が「あれ?揺れてない?」といって

(また、よくあるいつもの勘違いのやつかな)と思っていたら、大きな揺れが起きた

とっさに教室の後ろに立っていた子たちを隣の教室に移動させ、机に入らせた

さすがにまずいと思って私も机の下に避難した。

教師人生初めてのことだった。

6年生の活発な男子が「お母さん!」と叫んでいる声が今でも耳から離れない。

その後揺れはおさまったが、あんなにしっかり固定されているテレビが落ちていた。

地震の揺れで、煙を防ぐための非常扉が開いていた。

 

とにかく外へ避難。全員を連れて行き外に行った。近くの教室の防災頭巾をかぶらせた。

外へ行くとその時担任していた子が、ガクガク震えて泣いていた。

強がって「何泣いてんだよ〜大丈夫大丈夫!」と言った矢先

大きな余震が起きて、さらに恐怖を増した。

 

その後、校長判断で全校児童、一斉下校することになった。

その対応には疑問が残り、後日信頼を大きく失うことになった。

本来なら引き渡しでの避難・下校になるはずだ。

 

その後、職員室に行きテレビがついていた。

はじめは何の映像かわからなかった。

津波だった。ヘリから見た津波。

そこにいた職員がほとんど立ち尽くしていた。

飲み込まれていく車、人、家。

何も言葉が出なくなった。

 

妻と連絡を取り合い、無事を確認した。

父母や兄弟にも連絡をした。

ひとまず大丈夫そうだった。

 

校内では、プールから水が流れて出ていてた。

波が起きて水が溢れていたのだ。

それからプールの目を洗う水道は10個近く外れていた。

排水のカバーも取れているところもあったり。

被害の大きさを物語っていた。

 

その後、校長から早く帰るよう指示が出て、帰宅した。自転車で。

 

被災地から遠い私のところでさえ、こんなことになっていた。

震源に近いところで被害に遭われた方はこんなものではないだろう。

 

 

 

どうか1日でも早く、この震災で苦しんでいる人たちの生活が震災前の当たり前に戻りますように。願ってやみません。

月曜日、子供達の前で何を語ろう。