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小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

『学び合い』での違和感

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もっぱら『学び合い』を実践中

 

45分間中、40分近くを子供達に任せています。

 

極力、教師はいないようにいないように。

こちらに助けを求められていても、誰かにつなげてやるようにする

 

「◯◯くんが分からないって〜誰か助けになってくれる人はいないかな」

 

あと8日したらこの子達とはおさらばで。

 

担任は今年1年間しか一緒にいられない存在。

同じクラスや学年の子達はずっと一緒。

少なくとも中学校まではそんなに大きくはコミュニティを変えない。

 

担任の私がバンバン解決していくのと

時間がかかっても自分たちで解決していくのと

どちらが子供達のためになるだろうか?

 

短期的な目で見たら、今の眼の前で困っている子を助けてやるのがいいのかもしれない。その場の「わかった」は何よりの教師のエネルギー、そういう顔を見たくてこの仕事に就いたんだから。

ただ、誰かを一人サポートしている間に、それができない子が当然生まれるわけで。

長期的な視点で見たら、自力解決・仲間との解決の経験の方が価値が高くなるのではないか。

 

今『学び合い』でそういったことを子供達に呼びかけながら行っていっています。

 

 

そこで、ある場面で感じた違和感がありました。

このシーズンは成績処理シーズン。

そこの所見の下書きを管理職に出しました。

とある子の所見にこう書きました。

「わからない子に粘り強く何度も問いかけながら、教えていて感心しました。」

この子は普段はおとなしいのですが、算数だと力を如何なく発揮し、学び合いをリードしていく子です。

その頑張りを称えたかったのでこう書きました。

 

ですが、管理職から返ってきた所見の下書きにはこう書いてありました。

「こんなことは堂々と書かない!教えるのは先生の仕事でしょう!!」

あ〜ここから考え方が違うんだなとなんかじっくりと考えてしまった。

そうか。。。と色々と考えてしまいました。

 

私はそこの価値観を転換したから、ここに価値を感じるけれど。

一斉授業の価値から考えたら、ここは賞賛しないのかと。

 

ん〜まあそうなんだけど。違和感。

もやもやしています。

 

これに対して、どう考えていくのか。それを本を読みながら学びながら探していこうかと思います。

 

 

今日はそんな記事でした。

 

【 今日の読書からの学び 13日目 】

読んでいる本 西川純先生の本 「『学び合い』ステップアップ」

この本を注文したきっかけはこのコメントを西川先生から頂いたから。

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クラスがうまくいく! 『学び合い』ステップアップ

クラスがうまくいく! 『学び合い』ステップアップ

 

 

・『学び合い』における教師の役割

『学び合い』において、教師の役割は少ないように思われますが、やはりその存在は大きいです。特に「子供達の意識」の部分で大きいです。

先生が本当に「一人も見捨てない」ことを願っていたら、それが子どもの行動になって現れます。先生が「まあしょうがないか」と妥協すれば、それも子どもの行動になって現れます。

特に上位2割の子たちはそれを察するのに長けている子たちです。その子達の動きが変わってきて、クラス全体が変わるということでした。

 

妙に納得。

教師が本当に信じていたら、それを求めます。

教師が信じていなかったら、強くは求めません。

 

そこで人が動くかどうかが決まるんですね。