小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

「今度は◯◯先生がいいね」と言われる先生、言われない先生

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最近、子供たちがこんな話をしている

 

「来年は、◯◯先生がいいよね〜。あ、◯◯先生もいいなぁ」

 

早くもクラス替えや、新しい担任の先生の話題を始めている。

聞かないふりして、聞けないようにはできないのが教師の性。

 

そこに名前が出るのは、だいたい決まっていることがわかってきた。

私のように、「ビシビシ厳しくやらない」「若手の」「男性」が選ばれる傾向にある。

反対に言うと、「ビシビシやる」「ベテランの」「女性」は選ばれにくい。

 

そこを分け隔てるものはなんだろうか??

 

 

それを感じさせるエピソードが2つ。

 

① アジの開き

昨日は給食にアジの開きが出た。

給食の大きなお皿に乗るくらいの小ぶりのものだった。

開きなので頭も尻尾もついたままだった。皮や骨も当然ついていた。

子供たちから聞かれた。

 

「先生、頭は食べなくてはいけないのですか?」

「先生、皮は残してもいいのですか?」

 

あなたなら何て答えますか?

 

私は

「魚の食べ方は家庭それぞれだし好みがある。頭や皮、骨などは自分で判断して食べたい人は食べなさい」

と答えた。

 

なぜそんなことを子供が聞くのか?

それは昨年の先生が

「必ず頭から尻尾まで全部食べなさい」

と指示していたからだそうだ。

「◯◯先生は全部食べなさいって言うんですよ!」

と自慢げに(?)言っていた。

 

これを言っていたのはやっぱり、「ビシビシやる」「ベテランの」「女性」の先生だった。

 

 

 

私からしたら「こんな理不尽なことを求めて何になる?」と思う。

世間一般的に魚の食べ方はこうじゃなきゃいけないというものは存在しないし、好みを強制するのは甚だおかしな話だ。

 

反対に「ビシビシやる」「ベテランの」「女性」からしたら

 

「甘すぎる」と言われるんだろうな。

そういうところから甘えが出るんだと言われるんだろうな。

 

② もうやらない

本校には強い課外活動がある。

熱心に練習をしている。

 

その先生が、最近すごく怒ったそうだ。

「もうやめる」とまで言ったそうだ。

そこに所属している子たちが

「本当に厳しいんですよ〜」と僕に報告してきた

でもなんかその子は、それを味わっているというか、

理不尽という厳しさも「当たり前」になっていた。

それって厳しさなのか?

 

最終的にはその先生は「もうやめる」を撤回し、

また練習を再開した。

その知らせを聞いた時に子供たちは「やったー」と喜んでいた。

 

それって教師という権威を利用して、子供たちを強制しているだけじゃないの?

そこに子供の意思はあるの?

子供の有用感みたいなものはあるのか?

子供への信頼はあるのか?

 

よく授業が成り立たなくて、教師が職員室へ行く

という黄金パターンがあった

それと一緒じゃないのか?

 

ダブルバインド状態。

 

www.kesuke03.xyz

 

 

私は違和感を感じずにはいられなかった。

 

 

要するに・・・

この2つのことから、何が言いたいかというと。

 

私が選ばれる教師だ!とかそんなことではなくて。

先生ってよく教師という権威を使って理不尽なことを指導してないか。

その理不尽なことを「厳しさ」と受け止める子供たちに救われていないか?

だから子供たちは、「ビシビシ厳しくやらない」「若手の」「男性」を選ぶのではないか?

あ、もちろん一緒に遊んでいる姿が楽しそうというのもあるだろうけど。

 

 

信頼ベースの学級を作りたい自分にとっては真逆な指導の仕方。

それが本当に「厳しさ」なのか?

 

なんでそんなことがまかり通るの?

僕は疑問を抱かずにいられない。

子供も少なからず違和感感じているのではないのか?

 

 

【 今日の読書からの学び 14日目 】

読んでいる本 西川純先生の本 「『学び合い』ステップアップ」

この本を注文したきっかけはこのコメントを西川先生から頂いたから。

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クラスがうまくいく! 『学び合い』ステップアップ

クラスがうまくいく! 『学び合い』ステップアップ

 

 

もうこの本も終わる。

私はやっぱり読むのに時間が掛かる。

だけどここに報告の場があるおかげでもう14日目。

続いている続いている。

 

・ドイチェ「競争と協同の定義」

競争・・・一部のメンバーしかゴールに達成できないもの 

協同・・・メンバー全員がゴールに到達することが保証されているもの

これを意識して学び合いを構成する。

決して競争の要素を入れてはいけない。

あくまで全員達成。一人も見捨てないのだから。