小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

慢心と力不足 年度末最後の日

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1年間が終了した

 

約200日を共に過ごした子どもたちとのお別れ

泣かないよう、明るく笑顔で振舞った

本当は泣きたいくらいだったけれど

来年のことを考えると、あっさりがいいと思った。

 

笑顔でハイタッチしてさようなら

またどこかで一緒のクラスを作れたら嬉しいな

そう思える子たちの出会いに感謝した

 

 

 

その後、最後にいただいた手紙を一人一人読んだ

いらした保護者の方と何人も話をした

 

そこで感じたこと

 

「何を思い上がっていたんだ」

と自分に言いたくなった

 

子供達からのコメント

保護者からのコメント

 

嬉しいコメントがたくさんあり、教師冥利につきる瞬間だろう

 

だけれど、じゃあこれが自分にだけかけられる言葉だろうか?と問いたときに、そうではなくて「先生」に対して向けられる言葉の数々だ

 

「先生」へのメッセージであって「自分」へのメッセージではない

「自分」はただの「先生」のうちの一人なんだ。

 

 

「自分は子供たちのことを思って、たくさん学んで、超いい先生でしょ」

「他の先生とは違って、特別な先生でしょ」

そんな慢心が自分の中にあったんだろう。

 

そう思っていたが故に、ものすごい虚しくなった。

というか、そう考えていた自分に気がついてさらに虚しくなった。

 

 

 

もう一つ。

 

 

年度末にかけ、信頼を失った保護者の方がいた。

昨日その方がお見えになり、話をした。

渡した通知表についてのことを聞かれた。

こちらの思いや意図は理解されずに終わった

 

一度失った信頼、つまり「不信感」は雪だるまのように、どんどんどんどん大きくなり、いろいろなことに波及する。

「不信感」は、さらなる「不信感」を生んでいく

私への「不信感」は、私がやっていることへの「不信感」となり、私の学級への「不信感」となる。

もう何もかも信じられなくなるんだろう。わかる気もする。

 

こんなお別れ、とても残念だ。

何よりも、自分のことを慕ってくれていた子供だからなおのこと。

その保護者はきっと子供の前でも、そういう態度や言動を表しているんだろう。

それを聞いた子供はどんな気持ちなんだろうか。

そんな思いをさせてしまうことが何よりも不憫でならない。

 

申し訳ない。

 

以前担当したクラスで、保護者の信頼をこれでもかというほどまで失ったことがある。

1人ではなく、何人も。

その時の恐怖感情、嫌悪感を思い出した。

だから自分はそうしないよう、保護者のことも大切にする。

そのことも思い出した。

 

 

 

自分の力不足を感じさせられた、そんな1日だった。

1年間かけてきた勘違いから目を覚めさせられた。

いい夢見させてもらった。

現実に帰ろう。

学び続けよう。変わり続けよう。成長し続けよう。