小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

「ねっこ」を読んで

岩瀬先生のブログを拝見した。

「食い入るように読む」とはまさにこのことで、

朝3時に起きてすぐに読み始め、脳が一気にブワ〜と動くのがわかった。

 

f:id:kesuke03:20170328051626p:plain

 

どうしてここまで、自分の考えを言語化できるのか。

本当すごい。

共感しかなかった。

 

iwasen.hatenablog.com

 

いくつも共感する部分はあったんだけどいくつか選ぶ。勝手に。

 

どんな技術やスキルも「なんのために」がその価値を規定するし「だれがつかうか」もとても重要な要素だ。
となると、その先生の、 「わたしはだれか」 「わたしは何を大切にしているのか」 「わたしは何が好きか」 「わたしは何をしたいと思っているのか」、「わたしは幸せか。わたしは何が幸せと感じるか。」 「わたしは、どんなふうに暮らしているか」

みたいなことって、些細なようでとてもとても大事だ。 

それはもはや先生として、というより一人の人として。一人の市民として。
「わたし」とは? という自分が大事なんだ。
それは素晴らしい人であらねば、ということではなく。
わたしはわたしを知っていて、そんなわたしを「なかなか悪くないな」って思えてるかってことなんだろうと思う。

 本当共感。「わたし」を知り、そこから「どうしてか」が見えてくる。

 

例えば何かの実践をするとして、

自分を見つめると、それをチョイスした理由は見つかる。

一番危ないのは、どうしてそれを選んだかがわからないままなこと。

続かないし、効果も生まれないし、自分の腹底から言葉が出てこない。

だって「なんとなく」選んでいるから。

自分を見つめていけば、それをどうして選んだかがわかり、腹の底から行うから「なんとなく」は消え、納得感を持って取り組める。

 

 

 

自分が努力して、痛い思いも山のようにして「どんどん変わっていった」という自覚があるから、「人は変わっていく」ということを体験的に信じていること、は大きいなあと思う。その意味では先生になって、「がんばってきたこと」「学んできたこと」「練習したこと」「体験したこと」の積み重ねで今の自分があるという自負がある。

内省的な性格であることも「ねっこ」なんだろうなあ。 昔はそれはボクの「めんどくささ」だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。 それがある意味この仕事には向いているんだ。 その内省も、思考の深みにはまっていく感じではなくて、ポジティブに変換しやすいのは気質なのか練習の賜物なのか。

 

岩瀬さんのようにバリバリ実践したわけでもない自分が共感するのはおかしいのかもしれないけれど、ものすごく自分を重ねた。

私も痛い思いはたくさんした。だから変われた。変われる自分にも気づけたし、変わり続けることの大切さを今でも持っている。だから学び続けられるし、求め続けられる。

 

そして、よいモデルに出会うことも、もしかしたら、重要な一つなのだと思う。 それがないと、がんばる方向、学ぶ方向が定まらない。 いい人だけれど、先生としては悪くないだろうけれど、でも成長が止まっている、変わらないと言う人がいる。

成長すべき方向性を失っているんだよな。 だから、よいモデルを知っていることはボクが考えている以上に大事なのだろうと思う。

 

これにも共感。まさに今自分にとって岩瀬さんがその代表で。

他にも一緒に学んでいる友や、校内の憧れの先生がいる。

メンターがいることが自分の成長する方向を照らしてくれる。そんな感じかな。

やっぱり「教育とは憧れである」だな。学長すごい。

そして「リアル」なメンターの方がいい。だから会いに行きたいと思っている。

 

とはいえ、いくらいいモデルに出会っても、

私たちは「だれか」にはなれない。

「だれか」をめざしていてもしょうがないんだ。

わたしはわたしとして、どんな人になりたいのか。

わたしはわたしとして、なにをめざすのか。

わたしはわたしとして、どんな一歩を踏み出すのか。

最後に戻るのは「わたし」だ。 

 

そう。陥りがちなのが「隣の芝生は青く見える」状態。

自分を見つめていないと、「あの人のようになりたい」が「あの人になりたい」になっちゃって。

それまでの経験や人生が違うんだから、どうあがいたって「あの人」にはなれなくて

それと同時に「あの人」だって、「わたし」にはなれない。

同じになろうとして、自尊感情が下がってしまうことに陥りやすい。

 

 

 

 

今日は自分を見つめる「メタ認知会」の発表だ。

このタイミングでこの記事と出会えたことに、何か運命みたいなものを感じずにはいられない。

 

ああ、学ぶって楽しいな。

時間がいくらあっても足りない。