小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

どうして自己を見つめるのか?【メタ認知】

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昨日は主催する「学びを遊びつくす会」の第2回を行いました

 

パッション溢れる4名で濃い濃〜い3時間となりました。

 

今回は前回の「メタ認知」から、自分について見つめていきました。

この「メタ認知」という作業、なかなかのハードワークで。

22項目について、自分で約30分ずつかけて書き出していきます。

約10時間以上、ガシガシやってきた先生方に敬意を表します。

 

その上で、自分についてプレゼンしてもらいました。

そのスライドもとてもいい!面白い!

 

そのプレゼンは

・自分とはどんな人間か

・理想の子供の姿はどんな姿か

・理想の教師の姿はどんな姿か

・現状はどうなっているか

・現状と理想を見つめ、そこを埋めていくためにはどんな成長計画を立てればいいか

 

そんなことをそれぞれの先生から発表してもらいました。

 

いや〜ワクワクした!!

 

当たり前だけれど、先生ってそれぞれ一人一人の人生があって

一人一人違う

みんなそれぞれの経験や考え方があって今の指導がある

 

なのに

学校という場で求められるものは、総じて画一的

規律を正しくすること、ちゃんとしていること、授業が上手いことetc...

それは集団を統制したり、子供を育てていく上でもちろん超超超超超大切なんだけれど

 

学級経営などにも「絶対これがいい」という考えがありすぎて

先生たちの多様性って認められてなくないか?といつも思うわけです

 

それは教師間でもそうだし、保護者間でもそう。

「隣のクラスと足並みそろえよう」とし過ぎることって、「◯◯先生」という個性を排除し、「先生」を作り出している

 

だから先生たちって「◯◯先生」でいることよりも「先生」でいることに固執してしまう

 

それじゃあ自分の価値が高まっていかない。

 

先生の中にだって、国語が得意な先生もいれば、体育が得意な先生もいる。算数は苦手だって人もいれば、学活ラブな先生もいる。

集団をまとめるのが上手い先生もいれば、子に寄り添うのが上手な先生もいる。

字が上手な先生もいれば、絵で表すのが得意な先生もいる。

話すのが得意な先生もいれば、多くを語らずの先生だっている。

もちろん一人一人、先生って大切にしているものが違う。

 

それぞれの先生の個性ってもっと尊重されるべきじゃないのか?

 

だけど危険があるのもわかる。

「個性」って諸刃の剣で、なんでもかんでも個性とされて、抑えるべきこと、教えるべきことを外してはならない。

それは間違いない。

その領域が今は広すぎないかな。そんな課題意識を持っている。

 

 

 

んで、その「個性」っていつの間にか埋もれてしまっていて。

なぜかというと、その「個性」に気づけていないから。

「個性」を見るなんてことなかなかしないから。

「自分ってこんな人間なんです〜」とか言うことあるけれど、ちゃんと深ぼったことありますか?ないですよね。だって私もここにくるまで、そんなことしたことなかったですから。

 

自分を見つめ、「個性」を認知し、そしてその上での指導をしていけば

一貫性も出る

強みも生かせる

子供が育つ

自分もやっていて楽しい

 

そんなことを願ってやっています。

 

 

おっと、話がそれましたが

昨日の会は

それぞれの先生が、しっかりと自己を見つめ、赤裸々に語っていました。

そこに心が動いたし、ワクワクしました。

自己開示すると、いらない見栄や肩書きなんか全て削りおとされて、その人の芯が見えてくる。

素が見える。

 

その素の部分の自分って、実はいろいろな行動を決めていたり、考えの元になっているのに、見過ごされている。

 

そこを認知できれば、自分の行動指針となるのではないかな。

 

そんなことを改めて昨日感じました。

 

 

いやあ面白かった〜

 

春休みは学ぶ連続で、毎日がワクワクです。

 

次回は4月23日(日)13時〜 @渋谷です。

ご興味あればコメントなどで連絡をください!

まずは聞くだけでも!

 

いやあ楽しかった〜

今日も余韻に浸っています。