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小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

ふたせんは悩む 【なぜ学ぶのか】

https://ord.yahoo.co.jp/o/image/RV=1/RE=1492545311/RH=b3JkLnlhaG9vLmNvLmpw/RB=/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9nLTAwMS53ZXN0LmVkZ2Uuc3RvcmFnZS15YWhvby5qcC9yZXMvYmxvZy02YS0wMC9oYW5zaGlyb3UvZm9sZGVyLzEwMzQ5NzkvNzQvNDQ1MDcxNzQvaW1nXzQ_MTQ4MTMyNzM5Nw--/RS=%5EADBN6WQBXO1RHPakPDiNknqVlaGZ5E-;_ylt=A2RCAwSfHfVYc38AJDaU3uV7;_ylu=X3oDMTAyN3Vldmc1BDAD;_ylc=X3IDMgRmc3QDMQRpZHgDMARvaWQDQU5kOUdjUmkwYVlwM2dZZkZTWDl5WGpRNXdMODVDS3VjdzVZY01HS3NBSlFQcHRfMjRTWkVmWGtLX21FSmdRBHADNW9LcDQ0S0EEcG9zAzQ5BHNlYwNzaHcEc2xrA3Nmc3QEdHVybAM-

昨日、ふたせんは悩んだ

 

ふたせんはどうして学ぶことが楽しいのか

どうして学び続ける必要があるのか

学び続ける人を増やしたいのはどうしてか

学ぶって言葉に他の人たちはわくわくするのか。

 

その問いに対して答えられなかった

 

考えた

考えた

 

自分が学び続けたい

この学び続ける気持ちをもっとたくさんの先生、たくさんの人たちにも味わってほしい!

 

そう思うのはなぜか?

 

自分が変われる経験を味わってほしいから

学び方次第で人は成長と知ったし体験したから

研修などのくだらなさに気がついたから

学級崩壊したから

 

いろんな考えが頭をよぎった。しかしバシッとはまるものがない。

そんな時に以下のような記事に出会った。 

勉強を無理矢理やらさせられることほどもったいないことはない。無理矢理学ばされてそれが後でためになったということもあるけれど、そもそもその学びへの嫌悪感がその時代に生み出す弊害は計り知れない。
学びがなんらかの熱烈な目標への手段となっていたり、そもそも「学ぶのが楽しい!」と体験的にわかっていたりすれば、その子は何を言われなくても勝手に猛勉強するようになる。
だからまずはそのスイッチをいれるところから取り組まなくちゃ。
また、何をもって「勉強」とするかということへの再確認も必要だと思う。
子どもの一見何のためにならなそうな趣味や興味に多くの学びが隠れているから。
極端な言い方をすれば、そのスイッチさえ押せれば、後は放っておいてもいいのかもしれない。
そのスイッチは1人1人異なる。
だからこそ個に向き合う教育(「個別化」)も大切。
学ぶって本来ものすごーく楽しいこと。
大人になってからわかったという人も多いからこそ、是非子どもたちにもシェアしたい。(邪魔しているのは私たち大人な場合が多いし)
ということで、今日もみんなで学びを楽しもうと思う。(^-^)

(西條さんのFBより 原文そのまま)

 

そうそう。大人になってそれってわかったんだよなあ、と超共感しながら読ませてもらいました。

そして、邪魔するのは大人というのもそうそう。大人になって自由度が生まれるようになったから、主体的に学ぶようになったけれど、今まではその枠が与えられていたなと振り返った。自由度を高めていくことで、自己の学びに向き合うようになるんじゃないかなと思ってる。 

 

それから以前、学びの会にきてくださった森本さんという方のブログ

blog.livedoor.jp

 

上リンク先の4月17日の日記、これにすごく共感した。特に以下の文。

森本さんが小学校教員を辞めて、大人向けの学びを仕事の中心に据えるようになった理由が3つ書かれている。そのうちの一つ目。

1,実は人生の大半の学習機会は大人の時期にある。

学びというテーマで考えてみると、自然と子供を想起するのではないか。少なくとも自分はそうだった。

しかし、よくよく考えてみると、人生というのはけっこうな長さを持っている。今現在の平均的な人で80年くらいは生きるわけだ。学校という期間はせいぜい長くても20代中盤くらいまでだろう。
人生の3分の1〜4分の1程度にしか過ぎない。

たしかに、子供の頃に学んだことが人生に与える影響はとてつもなく大きいのだろうと思うが、実は大人になってからの学びが子供の頃の学び以上に、自分の人生に大きな影響を与えるということはそう珍しくないだろう。 
 
例えば、キャリアについて学ぶことで、本当に自分にあった仕事につけた。
例えば、コミュニケーションについて学ぶことで、周囲の人と豊かな関係性を築けるようになった。
例えば、問題解決について学ぶことで、自分の身の回りがスムーズに展開するようになった。
例えば、クレーム対応について学ぶことで、日々のストレスが緩和された。

これらの領域の学習は、場合によっては学生までの期間に学んだことよりも、自分の日々の生活に大きな影響を与えるということは十分に考えられる。

ましてや、これから先の時代、70歳は当然で、75歳まで働くことも検討されているような時代だ。
多くの人は、学生時代を終えても50年程度は働くことになるわけで。そう考えると、ここでの学びを軽視する方が何かがおかしいと言えるだろう。 
 
私は、子供の頃の学びに比べると、まだまだ大人になってからの学びの機会に当たる問題意識は少ない気がするのだがどうだろうか。これはもう少し力を入れるべき領域なのではないかなと思う。(どうやって力を入れるかについて書くと長くなるので、これはまた今度の機会で)

 (森本さん4月17日 記事より引用)

 

そうそう!大人になってから学ぶほうがはるかに多い!

そして森本さんが言われるようにどうしてかここは軽視されている。

普段の生活や業務に追われてしまうことがその最たる理由だと思うけど。だけどここへの危機意識は確かに低い。

めっちゃ共感。

 

 

この二人の素晴らしいアウトプットに出会っても

自分の中の言語化はできない。

まだまだ力が足りない。

 

 

「どうして自分は学んでいるのか」

それについて悩んでいる

 

 

ふたせんは悩む

今日も悩む

 

 

 

皆さんはどうして学んでいるのですか?