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小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

子供にとって「優しい大人」になりたい

最近よく思うことです。

 

「子供は力をもっている 大人が邪魔しない」

 

大人が「引き出そう」「引き出そう」とすればするほど

子供の邪魔をしてしまうことがあって

 

昨日の算数

授業の後半に問題演習

(TTの先生や、校内研究のからみもあり、『学び合い』ができない状態)

 

子供たちにやらせてみた

終わった子から「ミニ先生」と名付けて。超定番のやり方。

 

その前の時間では、そのミニ先生が飽和状態になった時、つまりおわった子>おわっていない子 という状態になった時に、誰かのところに固まったりしていた姿が見られた。

 

そのTTの先生は、

「何かルールを決めたほうがいい。例えば一人まで、とか近くの人ととか。」

自分はとても違和感を覚えた。

なぜ?と。

1回できなかったくらいで止めさせたり、こっちが軌道修正していては、子供たちは運転してもらうことに慣れてしまう

 

そうではなくて、

教習所の先生のように、本当に危ない時だけブレーキが踏める位置で一緒に走ってあげる

若葉マークの若者が初めて公道を走る時のように一緒に車内から運転を見守ってあげる

彼女が苦手な運転をする時のように、ぶつけても大きな心で許してあげる

時にはアドバイスも必要だろう

 

そんな伴走をしながら、一緒に学んでいく必要があると私は考える

 

だから昨日も特に何も言わずに取り組ませた。

子供たちはできた。

一昨日の姿から明らかに変わっていた。

そのTTの先生も「明らかに上手になりましたね」と。

 

 

 

子供はできる

大人のいう方法が必ずしも正しいとは限らない

 

任せてみる

やった先にしか自分で獲得できる学びはない。

 

待つ

失敗してもすぐに手を差し出さない。その後の這い上がり方を考えさせよう

 

 

なんでもかんでもやってあげる、助けてあげるのが本当の優しさではない。

やらせて失敗させる、その上で待ってやる、次の機会を保証してやる

そんなことが本当に「優しい大人」じゃないかな。