小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

私が一緒に学びたい人 学びたくない人 【Takerは一緒にいると息苦しくなる】

昨日のミーティングの中で出てきた話

 

 

私が魚釣りだとして

仲間が

 

A

釣りたての私に

「新鮮なアジください!」

と言って捌いてもらって、ただ刺身を美味しく味わおうとする人

 

B

釣りにめっちゃ興味があって

「どうやって釣ってるんですか!?」

と言って一緒に船に乗り、うまくいかなかったりいったりでやっとのことで釣ったアジを一緒に味わう人

 

 

 

もうこの発問の時点で悪意を感じられるでしょう笑

 

 

 

私は絶対にBの人と一緒に学びたいし、一緒に仕事したい。

 

 

私が持っているスキルやノウハウ、マインドをただ享受しようとする人

私の持っているそれらなどたかが知れているけれど

それだけをただただTakeしようとする人とは一緒に学ぼうと思わない

 

校内でも思い返せばいる

ただただ「教えてください」と言ってばかりで、いわゆる大御所みたいな人にばかり話を聞きに行き、他の人とは対話をしようとしない人。

 

素直に聞いて回っているんだったらとても意味のあることだと思うんだけれど、そこに作為的なものを感じる

苦労を共にしようとしない人には、こちらだってそれ相応の対応しかしなくなる。

そうすると、その人はますます孤立化して行く。

 

 

結局、「いいとこどりしようとする人」には与えられるものなんてないのだ。

 

 

これらの考えを裏付けされたのが以下の記事。

ひふみ投資の藤野さんの記事。

これにものすごく共感をした

昨日のセミナーの懇親会の時、参加者の一人がわたしに「もうかる銘柄数名柄程度教えてくれない」と話しかけてきました。

「この質問って無銭飲食させてくださいというようなものですよ」と言ったらポカンとしてました。

「ケーキ屋さんにそのケーキ、タダでくださいって言いませんよね?ましてやレシピくださいなんて言わないですよね」

と言ったら、「どうせ投信じゃないですか。値動き地味だし」
と。

「なら、投資哲学っぽいのとかなんかないですか」

と聞いていたので、

「帯広には何回か来ましたがセミナーに来られたことありますか」と聞くと、

「なんか知っていたけど、セミナーとか行くのうざいし」

なので、
「わかりました。今回はお引き取りください」
と言ったら、

「なんで??あなたには後悔をした!!ひどい。残念だ!」とか言われて
逆ギレされました。

うーん、もう少し質問を工夫してくれたりしたら、話せること話せるし、彼にも有意義なことたくさんあったと思うんですね。そういう意味では彼に対して確かに残念な気持ちになりました。

ちなみにこの人はまったく悪気はないんですよ。で、なんでこう言われたのかもわかっていない。もう少し親切にいろいろ話してあげてもいいだろうし、もっと徳の高い人はそうするんだろうね。たとえば出口さんとか出口さんとか出口さんとか。

あのピカソでさえ、「ここになんか書いてくれる?」って紙切れ渡されたりしたそうなので、わたしごときなんかはこれからもこの手の応対を何万回もするんだろうなあ。

追伸:その人、これ読んでくれて(たぶん読んでないけど)少し行動を考えてくれたらいいなあ。「今回は」お引き取りください、と言っているのは、次回はあるかもしれないという含みだから。

(7月13日の記事より)

 

Taker思考を持ち続ける人ってやっぱり一緒にいて苦しくなるなあ

そういう受動的な学び、したくないし一緒にしたくないなあ。

学ぼうとしなくては、何事も学べない。

 

すごく簡単に言うと私は

苦楽を共にしてでも「学ぼうとする人」と一緒に学びたくて

楽だけをもらって「学ぼうとする人」や「学ぼうとする気がない人」とは学びたくない

 

 

そんなことを考えた昨日の夜。

 

だけど、何も学ぼうとしない人よりはよっぽどいいのかも知れないな。

 

そんなことも考えた昨日の夜。