小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

実技研修を受けてきた 【研修こそ、主体的・対話的で深い学びを】

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昨日は市内の体育の実技研修

 

3名の先生からたくさんの学びをいただいた

やっぱり、諸先輩方は経験も豊富で、深く教材のことを理解している

自分には知らない世界を知っていて、その話のどれも興味深かった。

そして一つ一つのエピソードは、実践に裏つけされたもので、とても具体性があり説得力がある。

その力強さがこの3名の先生方の強みなんだろうなあと感じた。カッコいい。

 

 

 

 

さて、久しぶりに市の教員研修というものを受けた。

これは自治体が主導で行うもので、自治体が主体となって行われる。





ふと昨日思ったんだが、研修こそ主体的で対話的な深い学びになっていなくてはならないのではないか??

そもそも、先生たちって主体的で対話的な深い学びをしたことはあるのか??

子供達に主体的で対話的な深い学びを意識した授業をプロデュースして行くときに、先生がしたことのないものを作り出せるのだろうか??


そんなことを思わずにいられない。

 

 

例えば

マラソンを走ったことのない人が、マラソンを走る時のポイントを講義することができるのだろうか。

例えば

美味しい!と感動したラーメンを食べたことのない人が、人を感動させられるラーメンを作れるのだろうか?

例えば

学びを楽しんでいない人が、学びの楽しさを教えることができるのだろうか?


学校の現場では自分がしたことのないことを教えることが多々ある。

全部をできなくてはいけないことはないだろう。

 

泳げない先生が水泳を教えることだってあるだろうし

字が雑な先生が漢字を教えることだってあるだろう。

料理ができない先生が家庭科を教えることだってある。

 

どれも現場では起こりうる。

 

だけど何が一番言いたいかと言うと

そのことを心から楽しんだ人じゃないと、その良さって教えられないんじゃないか。

 

 

ずっとバスケットをしてきた人は、ラグビーの楽しさをラグビーをしてきた人よりも伝えられないだろう。

ずっと吹奏楽をやってきた人が、野球の楽しさを野球をしてきた人よりも伝えられないだろう。

読書がめちゃくちゃ好きな人には、嫌いな人は読書の魅力を伝える上で敵わないだろうし。

 

 

 

つまり

あるものを、心から楽しんだ人こそ、その価値を伝えられる。

 

 

 

 

 

じゃあ話は戻るが、主体的で対話的な深い学びを味わい、楽しんだことがある人はどれくらいいるんだろうか??
そんなに多くないんじゃないだろうか?

だからこそ、みんなそのイメージに苦しむのではないか。

(まあこれからの時代に求められるのだから当たり前なんだけれど)

 


だからこそ、研修が「主体的で対話的な深い学び」でなきゃいけない

だって先生たちはそれをやったことがないから。

 

研修が「主体的で対話的な深い学び」であれば

「あ〜こう言うことね」と腹落ちすれば

その授業を目指せるんじゃないのかな。

 

だからこそ研修が「主体的で対話的な深い学び」である必要がある。

 

そんなことを昨日の研修から思った。

そんな学びを得られたと言う意味でも、昨日の研修は研修となった。