小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

学校に宿題って必要??と現場の先生が問う【働き方改革には、教育改革が必要なのではないか。】

今この本を読んでいて、色々と繋がってきてしまった

せんせいのつくり方 “これでいいのかな

せんせいのつくり方 “これでいいのかな"と考えはじめた“わたし"へ

  • 作者: 岩瀬直樹,寺中祥吾,プロジェクトアドベンチャージャパン(PAJ)
  • 出版社/メーカー: 旬報社
  • 発売日: 2014/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本を読んでいて、こんなことを書いていた。

宿題について

ボクは「宿題をやってこなかった子供」だったことはまちがいない。

(中略)

しかし、先生になったボクは、子供が宿題をやってこない、家庭学習をやってこないということを割と気にしてしまう。

「やらなかった分を休み時間にやりなさい」なんて罰にしたことも、残念ながらある。

なぜボクはそこにこだわってしまっていたのか。あらためて考えてみると・・・。

・やらないことをOKにすると、ずっとやってこないのではないか。

・そのように約束を守れないと将来困るのではないか。

・他の子たちもやってこなくなるのではないか。

そう考えていた自分に気づく。

 

宿題をやらなかった自分も、子供達への思いも全く重なり、共感の連続。

これが正しいと思っていたし、恐らくどの先生もそう思っていそう。

 

ただ岩瀬さんはこんなことを続けて書いている。

数年前、オランダの小学校に参観に行った時のこと。その学校には宿題がないというので、驚いた。理由をたずねるとおおよそこんな答えだった。

「学校でのことは学校で終えるべき。」大人になって仕事をするときも職場で決まった時間の中で終わらせることが大切。遅くまで残ってやっていたり、仕事を持ち帰るというのは能力がないと見なされる。それに家での余暇の時間を充実したものにするのはとても大切なこと。

 子供のころから、家での時間は自分たちの時間として充実した時間にする練習をしておかないと、大人になった時にそうでなくなる。そもそも宿題がある理由は何ですか。

 

うむむ。

思わずボクはうなってしまった。たしかにその通りだなあと。

 

私も唸ってしまった。ぐうの音も出なくなった。

特に最後の、

子供のころから、家での時間は自分たちの時間として充実した時間にする練習をしておかないと、大人になった時にそうでなくなる。」

というところが頭から離れない。

 

ここで私はこう考えた。

 

日本の宿題は、長時間労働への練習となっていないか。

ひいては

日本の教育は、ブラック企業に耐えうるような子供を育てていないか。

 

家に帰ってからも宿題に縛られて、タスクを次の日までに持っていく毎日。

夏休みだって「ゆっくり休みましょう」と学校は言うけれど、大量の宿題。

中学・高校では、(もちろんやりがいはあるけど)先生も生徒も疲弊しながら部活の毎日。

 

宿題という名の、「仕事の持ち帰り」をさせていないか。

学校でできなかった分を、家庭学習にしわ寄せさせていないか。

(自戒を含め)

 

こんな学校教育で、幸せな人生を送る子供は育っていくのだろうか。

 

そんな思考が頭を巡っている。

 

 

 

そんな時にこの記事に出会った。

toyokeizai.net

その一節にこんなことが書いてあった。

社長や上司がまるで自分の所有物かのように従業員をこき使うことによって、搾取して私腹を肥やそうとしている点にある。

ブラック経営者やブラック上司にとっては、従業員はモノ同然であり、自分の命令に従わない者は不良品だとみなし、数時間にわたって延々と怒鳴りつけ、減給処分や罰金というムチを与え続けることで、考える余力を奪う。彼らにとっては「働き方改革」なんぞどこ吹く風。「働きがいがある会社」にしようなどとは、これっぽっちも思っていない。あくまで、自分たちの悦びが最優先であり、従業員はそのための道具にすぎない。こうした従業員を私物化するトンデモない経営者や上司の存在によって、いまだに多くの人が、長時間労働や休日出勤を余儀なくされている。

 

結局働いているのは人と人。

そこには感情も関わってくるわけで。

上司への感情。部下への感情。 (先生と児童、先生と生徒と考えてもいい。)

「働き方改革」という理論では太刀打ちできない、感情がある。

その感情に疑問を持たせないようにしているのが、当たり前にしているのが学校教育なのではないかと思ってきてしまった。

 

 

 

さらに。

これがいい例。

headlines.yahoo.co.jp

 

もちろんこの坂原監督のすごいところだってたくさんあるし、

何より廃部寸前の野球部を鍛え上げて甲子園に連れてくるのは並大抵の努力ではできないからこそのこの記事。

そこにはリスペクト。

 

ただ、この坂原先生に教育を受けたこの生徒達が、これからどうなっていくのかと考えた時に、何も答えがない世の中で、自分の持っている力を発揮できる人材となり得る3年間だったのか

それについては非常に疑問。

 

これもになってしまっていないか。

 

 

 

この3つが私の中では一本の線でつながっていて。

つまるところ言いたいことは

「ブラック企業に入っても大丈夫教育」

となっていないか、自分の教育。日本の教育。

勤勉勤労が日本のお家芸なのは間違いない。

ただそれで死者がでる。家族が犠牲にされるなんて世の中は、幸せな世の中ではない。

できないことはできない と言える社会にしたいし、それぞれが家族やパートナーを大切にできる(自分も)世の中に、教育にしていきたい。

 

 

働き方改革には、教育改革が必要なのではないか。

 

そんなことを感じずにはいられなかった。

 

宿題無しにしてはダメだろうか?

みなさんどう思いますか。