小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

モヤモヤした感じ【どうやら余白が必要みたいだ】

f:id:kesuke03:20170911055503j:image

 

昨日はDAncing Future Learner #10 でした。昨日は前回選ばれた2人の発表を中心に議論をしました。4月から始めたこの回ももう半年、10回を数えました。

今回も学びや気づきをたくさん頂きました。シェアさせてください。

 

 

○自分の、学校のあり方って今のままでいいのだろうか。

発表しているある先生が児童生徒に「意見を言えるようになってほしい」ということを掲げていて。それは、学びの場で自分の意見を発信したことで状況が大きく変わって、そういう思いを強くしたそうだ。まさに腹の底からでてくる言葉だった。
だけど同時に何だか違和感を覚えた。
学校って自分って、無思考状態を生産しようとしているのに、思考力を要求しているへんな状態と違和感を覚えた。ちゃんと話を聞きなさいという名の服従を求め、それでいて自分の意見を持ちなさい、発言しなさいという名の創造性を求める。それでそこで浅い考えだと児童生徒のせいにする。 そんな自分が、そんな学校があることに気がついた。もちろんそんな一面的に見てはいないんだけど、そういう側面もあるということもディスカッションの中で気がついた。
もっと先生や学校の余白が作れて、それを児童生徒に任せ、そこで自分の意志でチャレンジしたり失敗したり成功体験を味わったりできることが必要そう。
先生にも児童生徒にも。その余白を作るためには、働き方を変えたり、外の風を入れてみたりすることが必要なんじゃないかな。
学校の、自分のあり方ってこれでいいんだろうか。そんなことを問いかけてくれる発表だった。

 

 

○どの顔の自分が『自分』なんだろう
例えば、僕で言ったら少なくとも以下の場面でそれぞれ顔が違う
・学校の教室での自分・学校の職員室での自分・家の中での自分・娘の保育園にいったときの自分・地元の友達と会った自分・大学の友達に会った時の自分etc...
どの自分も同じじゃない。全部そこを構成している仲間との関係やそれまでの経緯があっての『自分』
ここ2年でDAEの協力のもと、自分を見つめるってことをやってきたんだけど、見れば見るだけ分からなくなる。
でもきっとどれも『自分』であって、どこにいってもブレない『自分』を探しているのかなという感覚。
最大公約数のような、どの『自分』の中にも絶対に外せない価値観があるから、それを自分の主軸に置いてあとは、それこそ自分の余白を楽しむ感じ。その場その場でのあり方は違っていい。
そんなことを考えさせられた。

 

 

○親との関係、子育て
ここの学び場は自分を深ぼっていくことが基盤となる。その時に自分の親の影響を考えずにはいられない。自然とそこに考えが及ぶし、それと同時に自分の子育てについても考えさせられる。
昨日のゲストは保護者の方で子育てのベテラン。その方が仰っていた言葉がとても印象に残っている。子育てにおいて大切にすることは
『そっと損できる』
そんな人になりなさい。と。
損を嘆いたり、訴えたりするんじゃなくて、誰かのために損したことを自分の中で受け止め、誇りに思える人になってほしい。そんなメッセージに感じた。
これも心の中に余白を作れる人なんだろうな。

じゃあそれらの余白ってどうやって作るの??まずはその余白がないことを認知することから始まるだろうから、昨日はその一歩目になったと思う。

 

 

今回は運営側において、準備が足りず、多くのところで迷惑をかけた。自分の心に余白もない。そんなんじゃ心から楽しめない、そんなことも気がついた第10回目だった。

 

 

次回は9/24日曜日の午前です。共に学びましょう!!