小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

ありがとうが言いたくなる学び場 DAFL#12

昨日はDAncing Future Learner#12の今期の最終回でした。
4月から月2の隔週で行ってきたこの回も昨日で一旦は最後、感慨深いものがありました。
4月から述べ38名の人と一緒に学んできました。
1度参加して新しい示唆をくれた方もいましたし、複数回に渡って学びを共有してくださった方もいます。全ての皆さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。

昨日はこれまでの回を振り返って、DAFLから学んだことを全員に話してもらいました。
この目的としては、自分の中にある学びの蓄積をもう一度アウトプットすることによって、それがさらに認知され、その学びが深まったり、自分の成長をより実感しやすくするためです。そんなことをねらって皆さんに話してもらいました。
そして、その中から本当にたくさんの学びをいただきました。
4つシェアさせてください。


◯どうして先生は「強く」なきゃいけないんだろう
 ディスカッションの途中でこんな話が出てきた。
 「わからないって言ったら生徒にどう思われるかわからない。だから言えない」
 先生って舐められたら終わりってよく言われますが、それがなんだか違った形で作用しているんじゃないかなって思った。先生だって間違うし、失敗もする。できないことだって山ほどあるし、悩みだってたくさんある。悩みだらけ。
 そこに蓋をしてしまうこと、大人だから子供よりは上手に立ち居振る舞えるから失敗を見せないようにすること、はかえって子供の信頼を損ねることになりかねない。先生である前に、一人の人として子供達と接することができるのか。そんなことを再確認させてもらったディスカッションでした。
「わからない」「できない」「ごめんなさい」「ありがとう」という言葉、ちゃんと子供達に言えているかな?それは自分に問い続けたい。
 この会の価値で気づいたことは、弱みを見せることって強い人じゃなきゃできないって言うこと。自分を見つめることから逃げている弱い人ほど、弱みを見せたり、謝ったりができないことが多い(俗にプライドが高いと言ったりもする)。「強さ」の定義を間違っていて、そういう人って信頼されない、というか自分だったら信頼できないと感じる。
 本当に「強い」人は、取り繕うんじゃなくてありのままの自分で、誠実でいられる人だなとこちらも再確認をした。

◯お寺のような、神社のような雰囲気
 「お寺のような、神社のような雰囲気で、終わった後心がスッキリしている場」
 参加者の一人の方が、この会の雰囲気をこんな素敵な言葉で表してくれていた。もちろんこの方の中にあるフックに引っかかり、それを感じさせたのだから万人にそれが当てはまるなんて到底思わないんだけれど。だけどそう言ってくれた人がいたこと自体が嬉しくて。
 安心・安全であることって学びを続けていく上ですごく大切で、「自分の居場所がある」「否定されない」「心地いい」とかそういった場になっていることが、その人の学びを促進していくベースにあることを実感した。そういうフェーズにまでこの会が12回で高まってきていることを実感した言葉だった。
 

◯学び続けている先生、親御さんとの環境はお金では買えない子供へのプレゼント
 
 この言葉、かなりのヒット。というか自分の内面にある思いを言語化してくれた感じ。
 学び続けている大人がいるときっと、その近くにいる子は学ぶことが楽しくなる。
 これは僕の仮説でもあり、定説でもある。
 だって大人が楽しんでいることって子供もやりたがるでしょう。僕が飲んでいるビールやコーヒーを見て娘は「いいなあ」と言うし、私がパソコンで何かを打っていると隣におもちゃのパソコンを持ってきて一緒に打つ真似をしてくるし。先生が畑仕事していると、数人の子は楽しそうだからと寄ってきて手伝ってくれるし。大人が楽しそうにしていることって子供は自然とそれを学び、羨望の眼差しで見るようになる。
 「教育界のさだまさし」こと藤原和博さんは、とあるページで「子供が読書をしません」と言う相談に対して、一番の方法は「大人が読書を楽しむ姿を見せることだ」と答えていた。
 「花まる学習会」で有名な高濱正伸さんは、家で親が笑顔でいることが一番なんだと言っていて、親を変えるのが一番いいと全国に保護者向けの講演を行なっていると言う。
 学級でも同じことが言えると思っていて。保護者が信じられる担任の先生は子供達も信じている。逆に作用することだってもちろんあって。保護者が信じられれない担任は子供達が次第に親の影響を受けて離れていく。
 
 ちょっといろんな具体例を出しすぎたけれど、何が言いたかったかと言うと、親や先生の影響って私たち大人が思っている以上にいろんなところで子供達に作用しているんじゃないかってことで。
 だからこそ、大人たちが学びを楽しんでいれば、「学ぶって楽しいんだ」と思うだろうし、人生を楽しんでいれば「人生って楽しいんだ」と思うだろうと思っていて。(もちろんその途中にはもれなくモヤモヤ・葛藤・失敗つき)

 そう言う姿で大人がいることが何よりの子供へのプレゼントだろうな。
 昨日の会にも6ヶ月の可愛い赤ちゃんを連れてきてくれたママがいたんだけれど、そこで輝くママの姿を見てこの子はどんな子になるだろうとワクワクが止まらなくなった。

◯続けることって「どれだけ思いがあるのか」

 上の言葉はいつも来てくださる塾の経営の方の言葉。胸に沁みて。

 続けることは簡単じゃない。
 途中でなんども「辞めるチャンス」は訪れる。
 途中でなんども「諦める言い訳」が思いつく。
 
 以前何かの動画で見たことがあるけれど、人間は辞める時とか諦める時に理由を考える時に、ものすごいクリエイティブになると言っていて笑ったけれど、納得した。色々なことを想像して、妄想して、ありもしない危険を察知して、ものすごい小さな可能性も見出す。いろんな思考を働かせて、やめたり諦めたりしていく。それは自分にとって「不快」だから。また、見通せなくて、不安になることもある。知らないことは不安を呼び込む。
 くじけそうになった時にその先には本当は、続けたからこそ見えるものがあるのに、それも見越せなくて諦めてしまう。
 そこを乗り越えるためには強い思いがないといけない。
 じゃあ「強く気持ちを持ちなさい」と言ったってそんなの無理で。そこには、自分を見つめて肚底から自分のやりたいこと・叶えたいことを見つめていくこと無くしてできない。続けられる「思い」をもつには、自分の中にある源泉を掘り起こすしかない。それがこの会で大切にしている「メタ認知」。
 続けて来た後ろの轍には、ちゃんと自分を見つめたからこそできた一本道(結構曲がっているかもしれないけれど)があるんだな。
 

 そんなことを気づかされた。




12回を終えて、一度一区切り。次のステージへDAFLは進みます。
自分の学びを実践しPDCAを回し続ける集団へと変わっていきます。
次期タームからの参加ももちろん可能で、先生に限らずどんな方にも学びの門戸は開かれています。またご案内しますが、よろしければ是非!ご招待します。
 
 
 
最後に。この場を借りて。
この12回は半年に渡って、家で娘たちを見ていてくれていた妻の支えなしではできなかった。やり遂げられたのは、妻の理解があったから。いつも任せてばかりで、わがままを聞いてもらって申し訳なかった。自分の中にも葛藤があったけれど、ここまでやり切れたのは妻が送り出してくれたから。本当にありがとう。
 

2週間に1回の月曜日に、こんな投稿を見てくださった皆さんにも感謝です。ありがとうございました。