小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

ロカルノさんの記事が秀逸すぎて泣きそうになった 【学校のノンフィクション】

いつも大変学びの多い記事を書かれるロカルノさんの記事

 

今日のは朝起きてすぐから、脳が覚醒するような感覚を覚えた

 

超を100回くらいつけたい良記事。

 

www.s-locarno.com

 

端を発しているのはこの本

 

問い続ける教師―教育の哲学×教師の哲学

問い続ける教師―教育の哲学×教師の哲学

 

 

 

僕も読んでみたい。とは言え僕の中で読書のプライオリティがなかなか上に上がってこなく、手に取らないのが現実。

だからこういう記事はありがたい。

僕も苫野先生の本をAmazonさんで早速購入した。

 

 

ロカルノさんのこの記述はまさに今自分が抱えているモヤモヤを言語化してくださっていて。

本当に子どもが社会の中で生きていくことを「願う」ときに、フィクションを生きることを強要することは、教員だからこそ自戒を込めて言うけど、やはり教員が犯しがちで、しかも最も罪深いことなのではないかと思う。

本書を通じて、自分が一番考えたことが、まさにこの学校の中のフィクションと教員としてどう向き合わなければいけないのかということだ。

 

自分が社会を知れば知るほど、学校の外に出れば出るほど

今自分がやっている教育と社会の乖離を感じざるを得なくて。

 

それなのに、自分が今やっていることは旧来の教育で、社会に出た時に違和感を「学校で教わってきたことがなんだったのか」と思われるような教育を再生産しているような気がして。

それを「フィクション」という言葉で表現されていることに唸った。

 

 

 

 

 

この記事の一番のクライマックスは最後の生徒の言葉。

これが胸に刺さって取れない。矢が刺さって抜けないような感覚。

 

折しも、自分の勤務校はまさに異様で愚かなフィクションを一つ今日から始めたのだ。それを見るだけでも自分は精神的に苦しくなる。なぜなら、子どもたちの尊厳が脅かされているからだ、そして、子どもたちからの信頼を損ねているからだ。

だから、ささやかな抵抗として、自分のクラスの生徒に本書の「ルール」に関する苫野先生の論考を読んでもらった。

よほど、生徒の方が本質を分かっているらしい。生徒の感想を紹介して今日は終わりにしよう。

今日から新しい校則が増えました。自分たちがだらしなかったことが悪かったし、学校が成り立つためにはルールは必要です。でも、結局、校則を押しつけられるとは、先生たちが私たちを信頼していないことを言っているのと同じですよね。だから、私たちもますます先生たちを信頼しないからこんな校則を守ろうとなんて思わない。

これに対して逆上するような教員になりたくない。

 

ここはなんだか子供達の心の叫びを聞いているような感覚に陥った。

少し泣きそうになってしまった。

すごい。

この違和感ってちゃんと向き合い、正してあげなくてはいけないんじゃないか。

 

 

これだけ言語化しているロカルノさんのこのレビューにただただ感動した。

こんな素敵な記事を書いていただきありがとうございます。

より多くの人にこれを読んでほしい!