小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

後輩に指導する立場の自分 【人の振り見て我が振り直せ】

昨日はやけに他の先生の言動に目がいった

特に若手の二人。

 

 

自分のクラスに入っていただく先生に、授業がテストだから他のクラスに行ってもらうようお願いしたら

 

「え?ふたせんのクラスには行かないことになっているよ?」

 

「え?」

 

となって、聞いてみると、僕以外のところで話が進んでいて、僕のところに話が来ていない。

 

その僕に伝えるはずの先生は、結局昨日は最後まで僕のところに来ることはなかった。

 

 

 

 

 

2時間目。

 

外を見ていると、長縄をやっているクラスがある。

 

体育主任だし授業の様子が気になる。

 

みんなで声を出していい雰囲気だ。

 

長縄の大会も近いからきっと気合も入っているんだろうなと見ていた。

 

 

 

けれど

 

いつまでも続く長縄。

 

なんどもなんども挑戦し続ける長縄。

 

1回やっては先生が振り返りを言って、もう1度。

もう1回やっては、同じサイクル。

 

これはなんの授業だ?

 

長縄の特訓?

ここのどこに楽しさがあるの??

ドリル的にやる体育ほどつまらない授業はない。

体育嫌いを増やす気か??

 

主に長縄は

体つくり運動の「用具を操作する運動」に入るんだけれど

①基本の動きを知って

②動きを工夫する

っていうのが授業の基本。

 

例えば、人数を増やして跳んでみたり、体の向きを変えて跳んでみたり、リズムを変えてみたり、回す方向を変えてみたり、いろんな工夫をして楽しむのが長縄。

 

それをただ、3分間跳びの回数をあげるためだけの部活的な練習の授業ってどうなの?

 

違うだろと思って。

 

5時間目には、上司の先生もそれをやりだす始末。

 

 

思ったことが2つ。

 

一つ目の連絡が来てなかった件についても、長縄の件についても、僕よりも後輩の話。

だから言わなくちゃいけないなという気持ちが出て来る。

 

連絡が来てない件は、今日言おう。

 

 

長縄の件は、結局先生たちの中に見栄とかプライドがあって

長縄の回数や上手さで評価されるという恐れに対する行動だよなこれは。

なんのための長縄なのか。

そういう状況をできるだけ排除する施策はないのか?

 

 

 

 

もう一つ

自分もこういう風に思われて、はあとため息つかれて、でも言いづらくて言えないってことあるんじゃないかなと思った。

 

 

 

人のふり見て我がふり直せ

 

 

 

先人はよくもこんなにエッセンスが凝縮された言葉を後世に残してくれたものだ。

自分も足りないところだらけだ。

 

さて、明日は研究発表だ。それに向けて頑張らねば。

 

今日もいってきます。