小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

麹町中学校の工藤校長先生 【 目的と手段 】

昨日は東京都の麹町中学校へ

 

 

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そちらの校長先生の工藤先生にお会いしに行った

DAFLで知り合った方がアテンドをしてくださり繋いでくれた縁

本当に有り難かった

 

 

工藤校長の記事はこちら

 

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まあ熱い方で、だけども熱血とはまた違う

内なる熱さを秘められている方だという印象

厳しさもあるけれど、暖かさがある。

暖かい方だなと感じた。

熱さがじんわ〜りと伝わってくるような。

 

こんなぺーぺーな教員1人のために、14〜17時まで3時間も校長室を独占させていただき、沢山のお話を伺った

 

 

 

学んだことは大きく4つある

 

1 目的と手段

目的と手段の混在化がされている教育現場。

それを問いたこともない自分。

考えているつもりでも何も行動に移していない自分。

工藤先生のお話の端々に、目的と手段という言葉が出てきて、これをいつも念頭において思考・行動・マネジメントされているんだなということがビシビシと伝わってきた。

 

工藤先生の麹町中学校は最上位概念として

世の中ってまんざらでもない  

結構大人って素敵だ

ということを教える と謳っている。 

 

そしてその手法として

麹町中メゾッド
1 社会で必要とされる学び方の習得を支援する
2 個性・特性を伸ばす機会を支援する

 

そのゴール像として
目指す姿
 ・様々な場面で言葉や技能を使いこなす
 ・信頼できる知識や情報を収集し、有効に活用する
 ・感情をコントロールする
 ・将来を見通して計画的に行動する
 ・ルールを踏まえて、建設的に主張する
 ・他者の立場で物事を考える
 ・目標を達成するために他者と協働する
 ・意見の対立や理解の相違を解決する

 

自分はどんな子供を育てたいのか。

どうして学校に行かなきゃいけないのか。

なぜ学ぶのか。

 

そう問われた時に僕は答えが即答できなかった。

 

今ある学校という場に無思考で入り込み、そして目的もわからずそのまま取り組む。

そんなことに気づくことのオンパレード。

今まで学びの場で、自分の上位理念を追求してきたけど、その必要性をまた改めて感じた。

僕は学校に何のために来たほうがいいと思っているのか?

自分の行動の目的は何か?それは手段として適切か??

問い続けないといけない、自分に。

 

だけど意外にそれってシンプルなことで、頭の中にその目的の階層を作り上げることで整理されていくことなのかもしれない。

 

自分の中のプライオリティをつけるときにも、それはいつも大きな目的に立ち返るもの。その大切さも教えてもらった。

 

 

2 心の教育より行動の教育

1番衝撃を受けた言葉、それが

思いやりは知識・技能

 という言葉。

 

日本の教育は、心を育てようとする。

思いやりが持てるように、道徳の授業で思いやりの大切さを説く。

そうするとこんなことが起こるという。

 

Aさん

思いやりの心は◯ だけど何も行動に移していない

Bさん

思いやりの心は△ だけど3年間ボランティアを続けた

 

こういう二人の子がいたときに、Bさんは内申書のための行動だと揶揄されてしまい、挙げ句の果てには教員もBさんを低い評価にしてしまう

 

どちらの方が価値があるのか?

 

そう考えたときに、行動に移すことができたBさんの方が価値を提供しているのは間違いない。

何のための教育かと考えたときに、

最終的にその子のその生徒の行動を変えることが目的で、そのために心(マインドセット)を変えることが手段なはずなのに

何故か、心を変えることが目的化してしまっている。

 

確かに。

 

だから、工藤先生はこういう。

思いやりは知識・技能

 

その行動が思いやりのある行動なのかどうか

この場面では、どのような行動が思いやりのある行動なのか

それを知ることがとても大切。

 

知らないのにできない。

だから行動ベースで知っていくことが大切だということを教わった。

 

3 タフな学び

しきりにこの言葉を使われていた。

 

学校評価のアンケート項目について、赴任されてからの3年間で大きな伸びがあったという。

それは「難しいことにも挑戦していくことができているかどうか」という項目だった。

 

この問題を設定しているのにも関わらず学校現場で、「難しいこと」ってあまりイメージがし辛く、というかそもそもなく、子供も答えあぐねてしまう。

 

私たち教師は、生徒たちが、考えて試行錯誤しがら実行して、失敗も経験して、進めていく経験をさせているのだろうか?

 

工藤先生は、運動会・文化祭は生徒会や実行委員会に委ねる

それぞれミッションは伝え、それを達成するためにはどうしていくかを生徒の手で考えさせていく。

 

子供の力を信じ、任せ、失敗もさせる。そういうタフな機会を多く経験させることが上に書いたような生徒たちを育てていくのだろう。

 

色々な企業とコラボレーションしているのも、より社会に近いタフな機会を創出するためなんだろう。

企業との取り組みばかり注目されるかもしれないが、それらはあくまで手段の一つ。

 

子供にタフな学びを通して、タフな人間に。

社会に出ていける人間を育てようとしているという本気が伝わってきた。

 

4  公立学校として 今後のキャリア

今回、僕が訪問させていただいた問い(目的)は大きく2つ

 

・同じ「公立学校」がどこまでやることができるの?

・僕は今後のキャリアプランをどうしていきたいんだろう?

 

今回、別の問題としてこの2つをとらえていたんだけれど

工藤先生とお話をして、同じ2つのものなんだということを感じた。

 

というのも、工藤先生には

「叶えたい学校像」「育てたい人間像」があって、つまり目的があって

それはずっと変わっていなくて

それを叶えるための手段が、校長になる ということだった

というだけ。

 

ああ結局は全て、目的と手段なのか

それをここでも痛切に感じた。

 

ここまで首尾一貫していることに、唸るしかなかった。

 

 

 

僕は今少し岐路に立っていて、これからどうなっていくのがいいのか?どうしていくのがいいのか?

そういう問いをもっていたんだけれど

あくまでそれは手段を考えていただけで、目的を考えていなかったんだ。

 

 

学校ってどうしていかなきゃいけないの?何のために行くの?

どんな子を育てたいのか?

なぜ学ぶのか?

問われたことはに答えられないのは、自分の目的意識の低さがあるからだろうな。

 

そこの問いをちゃんと明確に持つことができると、きっと手段は絞られていく。

 

 

「多くのことを学んだ」という表現よりも

真髄を学んだ

という表現の方がピタリとくる。

 

 

 

 

こんな僕に時間を割いて大切にしてくれる、工藤先生の熱さ・暖かさに触れた3時間だった。

これからの自分に大きな指南をしてくださった工藤先生に本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

本当にありがとうございました。