小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

「ケース会議」が開かれた 【過去の自分と切り離す】

金曜日の夕方に打ち合わせがあった

 

ケース会議

 

ケース会議とは、いじめや学級崩壊などが起きた場合に行われる、緊急の会議

 

今回のケース会議は校内のクラスの学級崩壊への対処について

 

そのクラスはある児童が手をつけられない状態

Aくんとしよう

先生の言うことを聞かないのはもちろんのこと

暴言を吐く 罵る

暴力を振るう  殴る蹴る

勝手に黒板に行き、チョークで字を書く

授業を妨害する

などなど。

 

その子の対応もあるし、他の児童へのケアといことで、先週1週間、空き時間の教員がサポートに入った

 

その報告がてらのケース会議だった

 

各人から授業に入ったときから感じたことを言う時に、Aくんを責めることは誰もいなかった

 

みんな口を揃えて言うことは

 

むしろAくんはよく頑張っている。

そしてクラスの子達もよく頑張っていた

 

ということ。

 

何を頑張っているかと言うと

その先生に合わせるのによく頑張っていた

口に出していうわけではないけれど。

 

 

その先生は・・・

何をするのかわからない授業

はっきりとしない指示

思いつきの授業内容

規律のない進行

満たされない先生と子供との信頼関係

センスのない受け答え

 

大人の僕が見ていても何をするのかわからないんだから、子供にはなおさら。

 

 

 みんなでその先生に、気持ちやマインドセットを変えられるように、話をした。

学級規律も今すぐ見直したほうがいいという話も。

もう50を越えている大ベテランの先生。

素直に飲み込むのは難しそうだった。

 

 

終わった後の夕方の職員打ち合わせ中

その最中、僕はとんでもない罪悪感に襲われた

 

数年前、僕も同じ立場にあったからだ。

 

その先生と同じように、ケース会議の議題に上がるクラスを作り

毎時間、誰かしら大人がつきサポートをしてもらい

毎日のように誰かが悲しむ 安心できない教室

保護者からは完全に見捨てられ

同僚の先生たちからは、「あとちょっと辛抱だから」と励まされた

 

 

そこでたくさんの先生に助けてもらった。

もちろんそうじゃない先生もいたけれど。

一緒に「こうしたら」を考えてくれた先生もいたし、実際に授業を受け持ってくれた先生もいた。

 

たくさんの先生にお世話になった

だから今の僕がある

 

 

だけど、さっきの僕や周りの職員の言葉はそのような言葉になっていたか?

それを問わずにはいられなかった言葉。

 

こういう時は担任は責められることが一番しんどくて、暗中模索状態だから、何かシンプルな方向性というものを出せたらいい。

だけどそういったこともしないまま。

責めてばかりでは何も解決しない。

 

 

こんなことを仲間との振り返り投稿に書いたら、こんなフィードバックをくれた。

①「見捨てる」だけはしないでいられるといいんじゃないかな。

そういう先生ってことだから、もしかしたらいろんな人からの言葉もなかなか入らなかったりするかもしれなくて。そういうときにもどかしくなったり「もう知らない!」という感情も湧いてくることってあると思う。

その感情自体が悪いとかではなくて、その後の選択として「見捨てる」にならないでいれたらいいなって思う。

 

②自分の時と重ねてしまうのはすごくわかるのだけど、これはあくまで「その先生の課題」であって、ふたせんの課題ではないから。

同化させすぎてしまうと辛くなったりしんどくなりすぎてしまうから、切り離して考えるという視点も頭の片隅に置いておくといいんじゃないかなって。「見捨てる」といっけん似てる風だけど、「切り離して考える」はその事象に対して向き合ってるのだから見捨ててるわけではないから。

 

う〜ん、なるほど。確かに同化させていたところがあったなと。

だから辛くなっていたのかな。

 

こういうフィードバックで自分は冷静さを取り戻せる。

 

現実を受け止め、そして共に乗り越える方法を一緒に見つけよう。

そういうことを決意したこの週末。

 

今週も頑張ろう。