小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

「学校に行くのは週1」を読んで小学校の先生が読んで感じたこと 【デコボコな社会を】

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こういう考え方もでてきているのかと驚き、即読んだ

 

そもそも学校でなくちゃいけないのか。

学び方は人それぞれだ

 

それを体現されているんだ

 

義務教育

そう言うけれど、これって強いられる意味合いが強いように思ってて。

9年間は耐え忍ばなければならない

というように僕には聞こえる

 

1番多感で、吸収がたくさんできるこの年代を

 

耐え忍ぶことに労力を割かせるのは勿体なくないか。

もちろん社会で生きていく上で、協調性などはとても大切な力だから、我慢だって大いに必要なのは感じているし、そこを否定する気はない。

 

 だけれど、選択権を与える努力をしないのは如何なものか。

 

 

行政は、画一化をすれば管理が楽だし、「はい!やりましたよ!」と言えるのだろうけれど。

そもそも学習指導要領が基準になっているけれど、あれは国がそれを基準としようと決めたことで

そこにももしかしたら限界がきているんじゃないかな。

 

もっとデコボコした世の中になっちゃダメなんだろうか?

画一化されたものは確かに美しい

揃っていたら綺麗 組体操やマスゲームとか軍隊の行進とかがいい例

 

だけど、それが行きすぎて苦しめていることが多いことに目を向けなくちゃいけない

 

デコボコを認めること

=多様性を認めること
=自由の相互承認になるのではないかな。

 

今読んでいる苫野さんの本にもまた繋がる

 

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

 

 

www.kesuke03.xyz

 

そもそも「不登校」っていう時点で苦しめていないか。

不?

そこには「できない」っていう上からの圧力が感じられるし。

そこを意識的に選択できたっていい。

 

 

ああ悩ましい。