小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

教育の目的は、各人が自己の教育を継続できるようにすることである。【 僕はきっかけを作りたい 】

一昨日もお話したデューイさん

 

その中で一番響いた言葉がこちら

教育の目的は、各人が自己の教育を継続できるようにすることである。

 

そう。

教育ってなんのためにあるかというと、

自分が「学びたい!」と思った時に

「ああやって学んだな」

「ああやったら続けられそう」

「あんな楽しさもあったし」

と思い出せるものなんだろうな。

 

教育って、小学校〜大学で終わりなわけじゃなくて

自己への教育は生きている間続く。

 

その時に一つのモデルになっているのが、受けてきた教育なんだろう。

 

だから最終目的は、

勉強ができるようになることでも、

体力がつくことでも、

人に親切にできるようになることでも、

本が読めるようになることでも。

ない

 

一番は自走できる人を育てることだ。

 

自走という目的のために、

本が読めたり、一定の学力があったり、人と協力できたりするとより自走しやすいのは間違いない。

だからこれらは手段。

 

僕はどこまで「自走」を見据えて自分の教室を設計できているかというと全くできていない。

学校というフレームワークに収めることしかしていないきっと。

それは自分の力不足が大半だけれど、心のどこかで

「自分がしたところで、来年以降そういう教育を受けられるわけがないから」

とタカをくくっているところがあるからだろう。

それじゃあ何も変わらない。

 

 

かたや

外での学び場ではどうだろうか。

DAFLという学び場を主催していた時にきてくれていたメンバーたちは、自分でもう学びを始めている

 

www.happypenguin.net

 

kengobonbei.hatenablog.com

 

もうとっくに自走していた。

ここに僕はとてつもない喜びややりがいを抱いていた。

教育の目的は、各人が自己の教育を継続できるようにすることである。

だからこの言葉が僕の目指していた方向にマッチしていたのは間違いなくて。

本当に嬉しかったんだ。

 

 

大人の学び場を催すのは、それぞれが自分の学びを楽しんで欲しいから。

「どうだ俺は!」みたいな会には絶対にしたくなくて

 

僕なんかから学ぶというよりも

 

自分のお尻についている導火線に、僕がちょぴっとだけ火をつけてあげる感じ。

人によってはそれを大きくしてすごいことを成し遂げることもあるかもしれないし

人によっては導火線が長くて、途中で火が消えちゃうかもしれないし。

でも導火線に火がついた時の感覚ってきっと忘れなくて、また「つけたい」って思うかもしれないし。

 

そうきっかけを与える

そういう環境を提供する

 

そんな場を作っていきたいんだ。

 

 

さて今週は、水曜日に研究授業。

あともう一踏ん張り。出陣!(出勤!)

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