小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

あの人の家はどうしてあんなに綺麗なの?と思ったことない? 【 人と比べる 】

突然だけれど

友人の家にお邪魔すると超綺麗!

なのに

我が家はどうしてこんなに散らかっているの。。。

どうしたらあんなに綺麗にできるの?

 

って思ったことないだろうか?

 

そんな問いかけから始める。

 

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昨日は 超ネガティブ感情 発露

 

僕はその手の対処は得意な方だけれど、どうにもならなかった。

多分妻へのあたりもきつくなってた(妻ごめん)

 

どうしてか。

 

それを、スーパー銭湯に行って娘と入っている間にひたすらに考えた。

 

一つの結論

 

人と比べてたから

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本当しょうもないけれど

・学びへの行動力

・Twitterのフォロワーの数

・ツイートの影響力 (いいねとかリツイートとか)

・金銭的な自由

・行動的な自由

 

そういったものを、自分と人とを比べてた

今なら

「こんなので比べるなんて、それは一部に過ぎない」

とか

「僕には僕にしか無い良さがあるよ」

とか言えるんだけれど。

 

その時は咀嚼できなくて、比べれば比べるほど

「ああ自分って劣っている存在なんだ」

と思って。

 

 

と言うか

 

そもそも劣っているかどうかとか、人と比べている時点で狭いなと思う自分も見つけたりしてまた凹む。

凹んでいる自分が馬鹿らしくなってまた凹む。

 

まさに

凹みスパイラル

 

こう言う時はこの感情を書き出すといいと言うことで、書き出す。

そして寝る。

 

そうすると落ち着きを取り戻す

と言うか客観的に物事を見られるようになる

 

 

 

 

 

 

「どうして比べてしまうんだろう」

そう思っていたけれど、それは致しかないことで

 

自分以外の人と一緒にいたら、共に行きていく以上、

その人よりも優位でありたい

とか

力があることを見せつけたい

って言うのが人間の性だと思っていて。

 

そう言うところで自己肯定感を作っているから、そこへの依存が見えたのが今回の人との比較なんだろう。

 

だけど

優越感とか劣等感って悪い言葉として捉えられがちだけれど

必ずしもそうじゃないんじゃないって思う。

それがエネルギーになる。現に今の僕がそう。

 

 

人と比べるのは悪いことじゃないし、競争原理は間違いなく良いものだ。

だから思いっきり比べたら良い。

だけどそこに一喜一憂してたって何も変わらない。

僕は僕であって、彼ではない。

 

彼ができて、僕にできないことは山ほどある。

だけど、逆また然りで

僕にできて、彼ができないことだって山ほどある。絶対。

 

だから見えていることだけに注目するんじゃなくて

その労力を自分自身に向けて

自分の成長にフォーカスできる人間でいたい。

 

まあ、言うは易しなんだけど。

でも本当にそうなんだもん。

 

人と比べたら、足りないことだらけ。

そこを見ていたら、いつまでも足りない足りないで終わっちゃう。

隣の芝生は青くどころか、キラキラして見える。

 

自分を見つめよう。

 

僕は人の人生を生きているんじゃない

自分の人生を生きているんだ

 

自分の根を深くしよう。

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そんな思いを強くした、昨日の凹みスパイラル。


 

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最初の問いに戻ると

 

人の家は「良いところ」しか見せてないし、普段の様子など見られない。

そこに理想形みたいなものを重ねてしまいがちだけれど

それはおかしな話で。

だからその背景を想像できる力

もしくはそこに考えを及ばせないこと

 

それが変な劣等感を抱かないことへの第一歩目な気がする。