小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

明日はオフだ!「イエーイ」 【 義務と趣味のバランス 】

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この記事で自分が引っかかったところ

 

この記事を読んでいて、自分の部活時代を思い出した

僕はラグビー部に所属してた。

 

 

「明日はオフにする」

 

そう監督やコーチが言うと、心が躍るように喜んだ記憶がある。

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だけど

 

このエンゲルス氏は記事の中でこう言っている

「たぶん生徒たちは、明日の練習が休みだと言ったら大喜びする。でもドイツの子供たちは、今日はサッカーが出来ないなんて言われたら、みんながっかりして落ち込むよ。もしかすると日本は義務と趣味のバランスが悪いのかもしれない

 

確かに。

 

「先生から生徒、上級生から下級生、まるで義務教育で学校へ通うようにサッカーをする。だから卒業すれば義務(サッカー)も終わってしまうんだ」

 

うんうん。

確かに「義務」なんだな。引退した瞬間の解放感ったらなかったもんな。

その時点で、「やらされ感」だらけだったのかもしれない。

 

「プロになれる選手なんて全体の1%。残りの99%の子供たちにとって、一番大切なのはサッカーを楽しむことじゃないか。僕はみんなに、サッカーを生涯の遊びにして欲しかった。そうすれば彼らの子供たちもサッカーを楽しむ。そういう種を蒔いていかなければ、サッカーは広まっていかない。サッカーを義務だと感じていたんじゃ、先生がいなくなった途端に辞めちゃうよ」 

 

そうなんだよね。生涯続けるかとか、見続けるとかそう言うことはないんだよなあ。 

 

部活って好きで始めているはずのことが

周りの圧力があったり

「続けない」ってことへの変な抵抗感だったり

そんなことで楽しめなくなっていってしまうのも現状あるんだよね。

 

調べてたらこんなアプリまで今あるらしい

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ここから考えたこと

 

いや今日の記事、スポーツのこと言いたいのも一つなんだけれど

 

これって学びと同じじゃない?と思ったわけ。

 

先生がいなくなった瞬間義務(学び)を辞めてしまう。

 

 

先日、うちの学級では学級閉鎖になった。

 

「明日から学級閉鎖です」

 

それを子供達に伝えた瞬間、「よっしゃあ」と喜ぶ子もいて。

(僕が釘をさしたから内心だけの子もたくさんいたと思う。)

 

小学校は「義務」教育だから、上のエンゲルス氏のケースとは根本が違う。

だけど、は一緒な気がするんだ。

 

 

 

 

義務からの解放はそりゃ嬉しい

台風とか雪とかで、休校とかあるとワクワクしちゃうもんね。

 

でもその一方で、まだまだ楽しめる学級を作れていないんだなって言うことも痛感。

 

この学級で過ごせるのもあと25日程度

そのことはまだまだよくわかってないと思うんだけれど。

子供の時の毎日の流れって激動のようで

先も見通せないし。

 

 

この学級はまだまだ「義務」で成り立っているんだ。

僕がいなくなったら、クラスが解散したら、一緒に何かすることを辞めちゃうんだろうな。

趣味のように心から楽しめることはできていない。

 

 

今渋沢栄一の「論語と算盤」と言う本を読んでいて

 

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

 

 

そこに紹介されている論語の一説

これを知るは、これを好む者に如かず。これを好むものはこれを楽しむ者に如かず。

(知っているものは、それが好きな人には敵わないし、好きな人はそれを楽しんでいる人には敵わない)

知る<好む<楽しむ

 

きっとうちのクラスの子たちは「好き」くらいだろうけれど

でも楽しむところまでははるかにいっていないんだろうな。

 

 

 

そう言うもんと言えばそう言うもんなんだけれど。

それってどこか寂しいなあ。

 

 

 

義務と趣味のバランスが悪い

ってこれから僕の中のトリガーになりそうな言葉だな。