小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

小学校教員、元ラガーマン。娘2人の父のふたせんが、朝3時に子供の育ちや自己の成長を記すブログ。自分を成長させたい。

「タテマエ抜きの教育論」がガチでタテマエ抜きだった件 【現場の教師が感じた3つのこと】

 読みましたこの本

木村泰子先生と菊池省三先生の対談本

f:id:kesuke03:20180403055431p:plain

タテマエ抜きの教育論: 教育を、現場から本気で変えよう! (教育単行本)

タテマエ抜きの教育論: 教育を、現場から本気で変えよう! (教育単行本)

 

 

菊池先生はこちらの動画がわかりやすいかな。【映画予告】


映画「挑む ~菊池省三・白熱する教室(第一部)」予告編

(この予告のセミナーの映像にちょっと出てたりする笑)
 

もうご退職されて3年か、早い。。。

 

 木村先生も映画「みんなの学校」だよねやっぱり【映画予告】


『みんなの学校』映画オリジナル予告編

 

包んでくれるような学校づくりをされているなあってずっと思ってて。

暖かいけれど、本質は外さない鋭さももつ

そんな学校だなあ大空小学校は。

生き方を教えてくれる。

 

 

そんなお二人の対談本!

 

このタイトル

「タテマエ抜きの教育論」

 

よくあるなあって思いながら、読み始めた。

 

だけど、

ガチでタテマエ抜きだったから笑った。

 

 

3つ感じたことを引用しながら紹介

 

本当にズバズバと言うよね

最近の教育が抱える様々な課題に言及している。

その中でも、全国学力テストについての話が多く、また根深い。

 

菊池
文部科学省は、1,990年代にゆとり教育会と学力観、士道館を転換させました。本来その時点で教師の軸足は教えるから学びを保障するえと変わっていかなければならないはずでした。しかしそれがうやむやにされたまま現在に至り、2020年の直学習指導要領全面実施を前にした今、全国学力学習状況調査の結果を上げることだけを目的にしたような行政の画一的な動きが全国で感じられます。

 

木村
大空小で言うところの、見える学力(従来型の学力)と見えない学力(10年後に必要な力)
見える学力を優先すると見えない学力がつかない、でも見えない学力を優先すれば、結果として見える学力がついてくる。

 

まさにで。

目の前のテストの成績をあげることばかりに目が奪われ、10年後に必要な力を養わない教育が蔓延っている。

 

ここ、かなり長く、広く、そして深く議論がされているから、じっくり読んで欲しい。学力調査は廃止の方向が僕も正しいと思う。

現場の教員としても、あのテストの負担や、それを生かすでもない状況を見ていて、なんの意味があるのだろうか?と毎年思う。

 

 

耳が痛いよね

「教師としてどうあるべきか」ということを対談の中でたくさん教えていただいている。それを聞いていると、自分のあり方を考えさせられる。

 

菊池

教師が確実にいじめを増やしている

例えば悪い態度を続けていたら、「お前を遠足に連れて行かないぞ」なんて指導したら・・・そのそういう方いらっしゃいますよね(笑)

子供達は自分たちも友達に対してそういう言い方をしても良いのだと思ってしまいます。そういう、いじめの土壌になるよう環境を学ばせているものだとも言えるでしょう。

教師の指導がいじめを助長している。

 

教師として、保護者としてこういう言葉を全く使っていないかと言われたら怪しいかも。自分はいじめを助長するような指導をしているんじゃないか。

自分に言われているみたいで耳が痛くなった。

 

木村

教師と言うのは、自分が良い気分になると、やっぱりしゃべってしまうんです。でも、先生がしゃべると言う事は、子供たちはただひたすら聞いていると言うことなんです。 

菊池

教師はしゃべる、教えるが多すぎます。教えたからといって子供たちがわかっているわけではありませんね。それなのにしゃべる教えることだけで一定の満足感を得られてしまうから、ますます教えることを追求してしまい、指導法を変えることができません。 

 

はい、 ごめんなさい。よく喋ります

「聞くことが大切だ!」っていう指導の論理は、もしかしたら子供達を都合よくコントロールするための論理なのかもしれない(もちろんそれだけじゃない)とも思ってしまった、

 

木村

学習参観日

目的を「良い教育をしているところを見せる」ではなく、「課題を共有するための地域の学校作る」に変えたわけです。

確かに、公開日ってなんかいいところを見せようとしてしまう。

そうじゃなくてありのままを見せる。それこそ大切だと。本当そう。地域は一緒に学校を作って行く仲間であるのに。

 

 

自分の感覚、間違っていないんだよね

この対談の中には自分が「こうだ!」と思っていることと同じようなことが言われているものがあった。

お二人がいうんだからきっと核心に近い部分だと思っていて。

 

木村
だから私は、アクティブラーニングとは、先生がアクティブになるものだと思っています。そもそも子供は先生が邪魔しなければアクティブですから。

先生方こそ、アクティブに学べばいいのです。

学びは楽しいと先生たちが楽しんでいたとしたら、子供は自分たちもやろうと絶対に思うものなのです。

菊池

やっぱり教師が、学ぶ人でなく教える人になっているんですよね。

学びとは、自分が変われると言うことを感じることです。この年になっても変われる自分を感じると、絶対に楽しいです。だから生涯学びは楽しい。

 そうそう。本当そう。

木村先生ほどの大ベテランでも今でも変われると信じていられるっていうことは素晴らしいことで、それって言葉の端々や、行動、立ち居振る舞いに現れる。

だからこそ、木村先生は多くの人を惹きつけるんだと思う。

 

先生自身が変わらないで、子供たちばかりを変えようとしていることが大きな問題です。先生に反抗する子がいる学級で、先生の力の方が強ければそこから不登校になり、子供の力の方が強ければ学級崩壊になります。そもそもこの子が私に反抗しているのはなぜだろう?ということを教えてくれるのはその子しかいません。ですから、先生がその子から学ぶしかない。

僕も人を変えるって無茶苦茶なことだと思うし、それってほぼ不可能なことだと思っている。

だけれど、先生たちのマインドセットの中に「子供は変わって当然だ」という人がいる。それでは、自分が変わろうとできない。成長できない。 

 

木村

学校には力を持った教師が力のない子供に反省させると言う文化がありますそれっていわば脅迫強要罪なんですよ笑

反省文の文化が未だにあることが信じられない。

本当やめて欲しいい。

 

菊池

僕は今言われている教師の多忙感の最大要因は、教師の指導が今の子供たちの現実と齟齬をきたしているからだと考えています。学校現場が教育を変えきれず、旧来の悪しき一斉指導をつけ続けている結果、子供や保護者たちから強く反発され、それが多忙感につながっているのだと考えています。

齟齬をきたしているっていうのはまさにな表現で。

それってつまり学校教育が現実社会と乖離していることを意味にしていると思う。

それに気づかず、いや気づいていても気づこうとせずにいることって、子供や保護者を苦しめているんだと感じる。

 

まとめ

 

「問いを持ち続けること」の大切さをこのお二人の対談から学ばせてもらった。

目の前の状況は当たり前のことなんかじゃなくて、異質なものであること。

何のために?どうして?と問い続け、自己を成長させ続けることが、自分もみんなも子供も成長し続けることになる

 

そんなことを学んだ。

 

そして、上にも書いたが、僕が違和感と感じていることはお二人も感じているんだと勇気をもらった。

 

ありがとうございます。

 

この本を紹介してくださった、小学館の白石さんありがとうございました!

春休みにいい本に出会えました!